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2017年4月17日

肥田舜太郎さん ありがとうございました

神奈川県生活協同組合連合会
代表理事会長 當具 伸一

 

日本被団協の顧問であった肥田舜太郎さんが3月20日、100歳でお亡くなりになりました。

肥田さんは、軍医として広島陸軍病院に勤務中に被爆。直後から被爆者の救護にあたられました。戦後は千葉、東京、埼玉で医師を続けられ、全日本民主医療域間連合会(全日本民医連)創立に参加され、全日本民医連理事、埼玉民医連会長、埼玉協同病院長を歴任されました。1976年9月に開設された日本被団協の原爆被爆者中央相談所では、副所長として開設時の活動を担われ、社団法人となった78年に副理事長、79年から2009年まで理事長を務め、毎週木曜日には全国からの医療相談に応じておられたと伺っています。また私費を使って欧米を中心に海外で37回に及ぶ遊説活動もされ、被爆医師として被爆の実相を語り核兵器廃絶を訴えられました。

若いころ軍医として被爆を体験された肥田さんは、その後一貫として被爆者に寄り添い、被爆者の苦しみに耳を傾け、生きることへの励まし、被爆者が原爆とたたかうことの大切さを教えてくださっていました。

 

2011年3月の福島第一原発事故後、いち早く、内部被爆の健康影響について強い問題意識を持ち、日本全国で300回を超える講演をされました。

神奈川県生協連の組合員活動委員会主催で肥田舜太郎さん講演会 「福島第一原発事故と内部被曝について」を開催(新横浜、ユウホール)したのは、2011年冬、12月12日の午後でした。参加された159名の前で、2時間もの間、座ることなくお話しをされていた肥田さんの凛としたお姿を今でもはっきりと覚えています。

内部被爆の問題を語り、せめて未来の子どもたちのために放射能の心配のない日本を残していけるようみんなで努力しよう。原発は事故が起きなくても放射能汚染はあり、処理のできない核のゴミも溜まる一方。だから原発は全部止めないと廃炉にしないと終わりにはならない。自分たちが汚してしまったこの日本をきれいにして、未来の子どもたちに渡すために1億2千万人の日本人がこの問題に向き合わなければいけないとお話しされました。

 

肥田さんは「被爆者は長生きすることが核兵器とのたたかいにもなる」と口癖とされていらっしゃいました。神奈川の生協は、被爆者の皆さまとともに、核兵器廃絶のための道筋、ヒバクシャ国際署名をひろげ、国際的な世論の力で必ず核兵器禁止条約の制定を実現することをお誓いします。

 

ご指導いただきありがとうございました。これからも被爆者と核兵器廃絶の運動を見守っていてください。

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