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2018年10月5日

第52回 神奈川県原爆死没者慰霊祭

広島・長崎への原爆投下から73年が経ちました。73年前の8月6日8時15分、そして9日11時2分。無差別大量殺戮兵器である原子爆弾が市民の頭上に投下されました。熱線と爆風、恐るべき放射線は一瞬にして多くの尊い命を奪いました。かろうじて生き残った人々は、放射線障害に苦しみ、心にも傷を抱えながら戦後を生き抜かれました

被爆者は、「核戦争を起こすな、核兵器をなくせ」「ふたたび被爆者をつくるな」と訴え続けてきました。

しかし核による被害は続いています。そして、核兵器大国では核兵器や施設の近代化がすすめられています。

 

これ以上「核」の惨事を繰り返させてはなりません。

被爆者の皆さまは、「私たち被爆者に残された日々は長くはない」「再び被爆者をつくってはならない」「核兵器もない、戦争もない、平和な世界」を願い、訴え、志を同じくする皆さまと手を携え活動を続けています。
昨年の7月7日には、国連で「核兵器禁止条約」が122か国・地域の賛成で採択されました。被爆者の皆さまの悲願であり、核兵器廃絶の新たな扉が開かれた瞬間でした。そして条約の採択に大きく貢献したICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)がノーベル平和賞を受賞しました。世界は核兵器の廃絶にむけて、まちがいなく歩みを前へと進めています。

同年9月20日に調印・批准の受付が始まった核兵器禁止条約は9月27日現在、調印69カ国、批准19カ国となりました。条約は、50カ国目の批准書が国連事務総長に寄託されてから90日後に発効します。

 

いつの時代も、不可能を可能にしてきたのは諦めなかった人々でした。今は核兵器廃絶が実行可能となる時代です。

神奈川の生協は神奈川県原爆被災者の皆さまと思いを一つにして、共に「すみやかな核兵器廃絶を願い、核兵器を禁止し廃絶する条約を結ぶことを、すべての国に求める」ヒバクシャ国際署名をこれからも広げています。

第52回神奈川県原爆死没者慰霊祭・2018年追悼のつどいが9月30日、大船観音寺境内の原爆慰霊碑前で行われました。

日時

2018年9月30日(日) 10時〜12時

会場

鎌倉市 大船観音寺境内 原爆慰霊碑前

主催

神奈川県原爆被災者の会

爆死没者慰霊祭 10時〜10時30分

開式

司会 神奈川県原爆被災者の会 木本 征男 副会長

黙祷

合祀者名簿奉読 神奈川県原爆被災者の会に連絡のあった方26名

陣川 幸子さん

導師入場 大船観音寺住職

読経

献水 丸山 進さん、佐藤 ミナさん

献花 遺族代表 別所 安枝さん 

来賓

被爆者・一般

導師退場

閉式

 

2018年追悼のつどい 10時30分〜12時

開会

司会 神奈川県原爆被災者の会 木本 征男 副会長

主催者挨拶ならびに追悼のことば 神奈川県原爆被災者の会 丸山 進 会長

来賓追悼のことば

黒岩 祐治 神奈川県知事、林 文子 横浜市長、福田 紀彦 川崎市長、加山 俊夫 相模原市長、松尾 崇 鎌倉市長

神奈川県生活協同組合連合会 當具 伸一 会長理事

原水爆禁止神奈川県協議会 笠木 隆 事務局長

来賓紹介 神奈川県原爆被災者の会 東 勝廣 事務局長

生協関係では、ユーコープ、パルシステム神奈川ゆめコープ、川崎医療生協、神奈川北央医療生協、医療生協かながわの皆さまと神奈川県生協連が紹介されました。

メツセージ披露 福島 富子さん

遺族代表挨拶  石本 久博さん

折鶴献納 門川 恵美子さん

パルシステム神奈川ゆめコープ 元木 朱美 理事

閉会

 

 

「第52回神奈川県原爆死没者慰霊祭 2018年追悼のつどいによせては」こちらpdf170KB)

 

大船観音寺のHPから

原爆慰霊碑

昭和45年4月、被爆25周年にあたる事業として神奈川県原爆被災者の会が、大船観音寺の境内に「原爆犠牲者慰霊碑」を建立しました。慰霊碑に爆心地の西蓮寺からは地蔵尊の土台石、長崎の浦上天主堂からも石が寄贈され、それぞれの被爆石は千羽鶴が刻まれた筏にのせられ、その台座には被爆者が平和の丘に向かう姿が描かれています。さらに、広島原爆資料館からのケロイド状の瓦や第5福竜丸の遺品等は地下に埋蔵されています。

また、その慰霊碑の右手には「原爆の火の塔」があります。福岡県の南東、大分県との県境に星野村があります。この村で生まれ育った山本達雄氏は召集を受け、昭和20年8月6日広島の陸軍野営部隊で本隊へ向かう汽車に乗っていました。午前8時15分、原爆が投下されます。燃えあがる広島の街。汽車は止まり、市内に住む叔父の安否を気遣い、市街地を捜しまわります。8月15日、終戦。帰郷に際して、一片の形見を求めて叔父宅辺りを掘ると、残り火がまだくすぶっているのを見つけ、火をカイロに移します。その火は星野村の自宅に持ち帰られ、仏壇に灯されます。山本氏はこの火を絶やさないよう、囲炉裏や火鉢に移し、23年間家族とともに秘かに守り続けます。昭和41年、村の特産である茶の取材に来た新聞記者に長年の思いを伝えます。「叔父の供養の火であり、原爆で亡くなった人々を弔う火であり、恒久平和を願う火であり、怨念の火です」と。このことによって「原爆の火」は、初めて世に知られることになります。昭和43年8月6日、原爆の残り火は、山本家から星野村役場前に建立された「平和の塔」に移されます。この「平和の塔」から分火されたものが、大船観音寺の「原爆の火の塔」に今も灯っているのです。

毎年9月、この原爆慰霊碑の前に被災者が集い慰霊祭が行われています。

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